教務主任の勝川です。
日本語教育歴に、ついに海外進出が登場です!^^
大阪の日本語学校で、土地柄か当時韓国の学生がとても 多くて、学生から
韓国のことをたくさん聞くうちに、 自らが韓国に行って、教えたくなりました。
もともと、日本を飛び出して仕事をするという気持ちで 見つけたこの
日本語教師という仕事なので、待ちに待った瞬間でした。
大阪での日本語学校生活を約2年終え、辞める時は学生が花をくれたり、
今思うと恥ずかしい授業がたくさんあったんですが、 本当にいい思い出になりました。
韓国の語学学校の求人を見たのは、大阪にあった日本語教育専門の書店の掲示板。
当時は、まだネット社会でもなく、先方の学校とのやりとりも履歴書を送った後は、FAX、電話だけで採用決まりました。
これも国内で日本語教師の経験があったおかげだと思います。
さて、韓国に着いた日、大阪での日本語学校のときの卒業生がソウルの空港まで迎えに
来てくれました。はじめての外国暮らし。期待以上に不安が大きかったので、
本当にうれしかったです。
首都ソウルから、 確かバスで3時間ほどでした。日本と比べると交通料金が安い安い♪
500円ほどでした。5000円と言われても払っていたと思います。
勤め先は、後に流行したあの韓国ドラマ『冬のソナタ』のロケ地、
春川(チュンチョン)です。真冬はマイナス20度の寒さ。着いた翌日、勤め先の周囲を案内してもらいましたが、近所の大学に韓国語で
「日本人日本語教師 勝川先生 ようこそ!」のような垂れ幕があったんです。
語学学校の学院長が大学生を学校に呼び込もうと大宣伝してくれて いました。
しかし、その翌日、台風のような強風が吹き、その垂れ幕がどこかに飛んで
行ったようです^^; 不吉・・・。
さて、すぐに授業が始まりました。始めは前任者となる日本人日本語教師のクラスに
見学として入りました。何よりも驚いたのは授業時間です。
日本の語学スクールも朝から授業がある学校もありますが、韓国では朝6時ごろから
始まるのが一般的です。よって、私も毎日5時前には起きて、学校に行きました。
授業は朝6時半から3時間。そして、夜も18時半~3時間。1日を2回に分けて生活
していました。朝の授業後は近くの大学食堂へ行き、いつもご飯大盛りにしてもらい、
200円ほどでおいしくいただけました。その後、昼寝をして、授業準備をして、
また夜の授業前に学校へ行く。夜の授業後は、雨が降るとなぜか学生から
「飲みにいきましょう、カラオケに行きましょう」と誘われました*^.^*
晴れのときは一人で町の食堂へ。
けっこう外食が多かったです。日本での一人暮らし時代は、極力節約するため、毎日鶏の胸肉料理を使って、カレーで3日間、シチューで3日間のローテーションでしたが、
やはり授業後の疲労の中、外で食べられるのは幸せ。せっかく外国にいるわけなので、
いろんな料理も食べておきたいですしね!
ここでちょっとビザのお話をしておこうと思います。
海外で就労する場合は、ほとんどの国では日本語教師という職種の場合、「大卒」という学歴が必要になっています。もちろんいくつかの国、機関は「大卒」がなくても
日本語教師はできます。また、ボランティアやインターンなら話は別です。
私は恵まれた環境で大卒という資格を持っていますが、
(本当に親には感謝しております)
持っていない人で、幅広く海外で日本語教師として働く!という方は、通信、放送大学
なども含め、大卒の資格が取れるので、チャレンジするのもいいかと思います。
韓国の住居を話すと、ぜひ触れたいのが「チョンセ」というシステム。
私が韓国に赴任したころは、いわゆる銀行の預金金利(利子)が1約10%も!
日本は、当時1%ほど。今は・・・0,01%ぐらいでしょうか。
ですので、チョンセとは、「保証金としてはじめに、仮に100万円預ければ大家は1年後10万円の利子があるので、住居人から毎月1万円もらうのと同じ金額になり、はじめに
渡した100万円は退去時に丸々返ってくる。つまり、住居人は毎月無料で部屋を
借りられる」ということです。
こんなウハウハなことが、日本では考えられるでしょうか。
というわけで、私も何も疑わずチョンセを利用しました。ただ、今はちょっとネットで
調べたらいくらでもでてきますが、やはり「うまい話には注意せよ」ですね。
私が入居したアパートが経営不振で競売になってしまい、私は結局退去時に預けた金額が戻ってきませんでした。大阪での日本語教師時代に節約してがんばって貯めた
お金が・・・。
ま、ちょっと高い授業料だと思うことにしました。それでも、私の学生が、弁護士事務所などに連れて行ってくれて、通訳もしてくれて、私を助けようと何人もの学生が
動いてくれました。この思い出は一生消えません。
お金はなんとかしたらあとから簡単に消えますし、また増やすこともできます。
外国の人にこんなに助けられたという思いのほうが、ずっと上回りました。
それによって、私ももっともっと日本国内、世界中の日本語学習者の助けになりたいと
思えるようになりました。
授業は、ネイティブ日本語教師として呼ばれたので、ここの学校では、基本的には
日本語だけで日本語の授業をしていました。しかし、日本国内に来ている学生なら
第2言語習得の目的がもっぱらですが、自分の国で外国語を学ぶ学生は、知識教養
として、日本語能力試験合格を目標にしている学生もいて、必要に応じて、
現地の言葉も知っていると、より多くのニーズに応えられると思います。
普段の生活では、多くの方にや何かと登山に誘われました。普段から体を
鍛えているんだな~と、感心しました。
【同じ学校の韓国人英語教師さんと】
日本語学習者さんに韓国国営放送KBSのカメラマンさんがいらっしゃり、
放送局の見学に♪
カメラは全てSONYでした。ちょっと誇りに思えました*^.^*
【テレビに映っているのは、後任のみわ先生と、仲良かった学生ミンジョンさん】
大阪の日本語学校時代の学生が、釜山から春川まで会いに来てくれました。
またいつの日か、この仕事には定年がないので、迎えていただけるのなら、ぜひまた
韓国に行って、日本語教師したいです!
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