教務主任の勝川です。
先日、当校NYAの近所にあります日本語学校、
福岡国土建設専門学校の日本語学科さんに当校の現役受講生と
お邪魔させてもらいました。
国土建設専門学校さんは、当校の受講生の就職先としても
目標にしている1つで、実際に修了生が働いています。
その国土建設専門学校さんで、卒業生によるプロジェクトワークの
発表会に参加させていただきました。
手前左5人と私(と、うちの1歳の子供・・・。途中でうるさくして
しまって、国土の皆さんすみませんでした!>。<)でお邪魔しました。
プロジェクトワークとは、例えば今回「ラーメン」という
テーマで発表を行ったグループがいましたが、
なぜそのタイトルにしたかの説明、
日本のラーメンと自国のラーメンとの違いを説明、
実際自分たちで肌で感じるためにも、オリジナルラーメンを
作りその説明などを、わかりやすくパワーポイントにまとめ発表
する活動で、1グループ5,6人の学生たちがそれぞれ
ほとんど原稿も見ずに、発表していました。
その内容、立ち居振る舞い、パワーポイントの完成度、
十分に進路先の一つである大学などでも通用するものでした。
国土建設専門学校の担当なさった指導先生のすごさも伝わりました。
いろんな日本語教育機関との関係性を大事にし、
また見学、授業参加なども積極的に行っている
NYAにぜひみなさんいらして、いっしょに日本語教師になりませんか?*^o^*
就活した人の就職率100%の当校だから、自信を持って勧められる学校です。
教務主任の勝川です。
日本語教師を目指す人にとってこの時期はとても大切な時期です。
一番求人が多いのは、日本国内の日本語学校からの求人募集。
(日本語学校とは主に大学など高等教育機関に進みたい留学生への日本語指導)
日本語学校では多くは入学が4月と10月なので、今が就活の時期なんです。
そこで、国内4県、国外4カ国で様々な日本語教育に携わってきた
19年間の経歴をここに大公開!
これから日本語教師になりたい方、今日本語教師養成講座に
通っている方、すでに現場に立っている日本語教師さん、
何か少しでもお役に立てればと思っております。
第1弾は「日本語教師養成講座時代」です♪
大阪出身の私は、親のすねをかじり何とか
大学までは行かせていただけました。
3年生まで特に日本語教師なんて、そんな仕事が
あることも知りませんでした。
元々、職場を地球規模で考えていたので、4年生になったころ、
色々本で見た中で、青年海外協力隊の職種で「日本語教師」というのに
出遭いました。
企業への就職活動の最中、大学卒業後また資格取得の学校に通うなど、
なんと親の期待を裏切ったものかと自己嫌悪にもなりながらも、
だからこそ本気で取り組めたのかもしれません。今から20年前の話です。
(↑ 日本語教師養成講座修了パーティーにて)
大手の日本語教師養成講座に通っていた頃は、初の一人暮らしなども
始まり、刺激的な日々でした。週3日通い1年で資格を取りました。
その際、2つの日本語教師ボランティアもしていました。
1つは研修生への授業にアシスタントティーチャーとして経験を
積ませていただいた関西研修センター( ↓ )。
もう1つは養成講座と同じグループの日本語学校での会話ボランティア。
通っていた養成講座は、外国人に実際教えるなどの授業もなく、
ボランティアで力をつけようと思いました。
あと大阪人ということで、東京アクセントで早く話せるようになろうと、
毎日NHKのニュースを聞いて、後からついて読んでいくという
今でこそ「シャドーイング」といって有名なやり方なのですが、
当時、自ら発見してやっておりました。
友達と話すときも、大阪なのに東京アクセントで話し、
数多くの友人からも煙たがられました。・゚゚ ‘゜(*/□\*) ‘゜゚゚・。
でも、小学生時代から尊敬もする、かつ親友の同級生、翼くんから
「かっちゃん、えらいな。そこまでプロ意識持ってるんやからな」という
言葉にとても励まされました。
さらに現場に出たとき「フォーマルな話し言葉、書き言葉」に慣れようと、
「ら抜き言葉」などを意識的に言わないようにしました。
今となっては、場面によって使い分けていますが、
当時は「大阪弁の日本語教師」と言われるのがいやで、
相当努力したのが懐かしいです。
そんな中、あっという間の1年間。さあ、いざ現場へ!・・・と思いきや、
まだ一度もまともな就職をしていなかった私は就活におじけずき、
不安と焦りしかない日々。
そこに、ボランティアで教えていた学生さんが在籍している
日本語学校に強引に私を推薦してくれて、ボランティアの日なのに
いきなり面接と模擬授業をやっていただくことになり。服装もGパンなのに。
模擬授業は「~てください」という文型の導入。
よくわからないままに授業をしました。
何も教案も作らず、練習もしていないままで。
でも、私を推薦してくれた留学生を悲しませたくない一心で、授業をしました。
結果は合格。授業が下手だったのは自分でもわかりました。
その留学生が推薦してくれたというのが、唯一の合格の理由でした。
ですから、今でもその留学生さんには感謝感謝です。
あとは、2つのボランティアで外国人との交流に体がなんとか慣れていたんでしょう。
強引に面接を開くようにかけあってくれたおかげで、
資格取得後すぐに現場に立つことができました。
同じ養成講座受講生でも、すぐに現場に出たのは、クラスでも2人ほどでした。
ちなみにこの留学生さんは、その後母国の韓国の高校で
私と同じ日本語教師となって、すばらしい授業をして、
2012年、ご主人と3人の娘さんを連れて、福岡に会いに来てくれました。
このように就職までも学生の手を借りて、やっと就職できた私ですが、
その後の日本語学校でのエピソードは第2弾で!*^.^*